今!よみがえる吉野川伝承  2014年

◆大淀町◆吉野川<川開き>まつり◆

奈良県吉野郡大淀町下淵370番地
鈴ヶ森公園・行者堂

suzukakenomori1@yahoo.co.jp

花筏・渡し舟

2014年05月23日 21:24

日本の三大美林と讃えられてきた吉野の山々から切り出された檜や杉の丸太は、かつて、筏に組まれて吉野川を下っていた時代がありました。大峯大台山系の雪溶け水を集めた澄みきった吉野川の清流を下る筏に、南風に舞い上がる川岸の桜花が散りかかる光景の美しさはえも言われぬ春の風物詩であったと伝え聞きます。

また、橋がかけられる前の、大淀町には、奥吉野へと吉野川を渡る4つの渡し船がありました。瀬も多い吉野川ですが、大淀町の川淀には、六田の「柳の渡し」、越部には「椿の渡し」、桧垣本に「檜の渡し」、そして、鈴ケ森には「欅の渡し」と呼ばれる渡し舟が運行されていました。

昭和40年代、忘れられかけていた鈴ヶ森の「欅の渡し」が再現されたことがありました。当時、鈴ヶ森の対岸に、アウトドアブームの魁となるバンガローとテント等キャンプ用品を備えた「吉野川レジャーランド」というレジャー施設が創られ、京阪神からキャンプを楽しみに来られる多くの観光客の方々を昔懐かしい渡し舟で、鈴ヶ森から対岸へとご案内していたのです。

ところが、昔より水量が減った吉野川の大川淀は、当時は流れが強く、従来の渡し舟では対岸に渡そうとしても、なかなか目指す対岸に流れを渡れず、下流に流されてしまいました。そこで、両岸の川辺の樹木にロープを張って、船頭さんがそのロープを両手で辿って対岸まで渡し舟を渡すという新しい形の渡し舟が登場しました。川辺で遊んでいた子供たちが、ゆらりゆらりと川を渡る渡し舟に乗せてもらうと、それはそれは、さながらゆりかごに乗っているかのような心地よい風情が楽しめましたが、川の流れを横切る為に、自らの剛力を頼りとした船頭さん達のご苦労は如何ばかりだったことかと思われます。

時は過ぎ時代は流れ、花筏も渡し舟も、今は、遠い昔の伝承の彼方に浮かんでいます。